眠るために生き、生きるために眠る

メンヘラ男のメンヘラ克服記

メンヘラがメンヘラたる所以は愛着の問題にあるのかもしれないというお話

12月26日

 

気が付けばもう年の瀬。

と言うか間もなく今年が終わろうとしている。

つい「早いなあ」などと言ってしまうが、振り返ればいろいろなことが起きた一年であった。

愛したり愛されたり、傷ついたり傷つけたり、金を得ては失い、環境も変わり、仕事の役割も変わり、人の温かみを知り、とにかく激動の年であった。

正直辛いことが多く、一年のほとんどを暗い気持ちで過ごしていたが、おかげで多くを学ぶことができ、大きく成長できた年であったと思う。

 

駄文にお付き合いくださっている皆さんにとって、今年はどんな一年だったろうか。

残り数日、実りある日々であることを祈っています。

 

メンヘラおじさん

 

 

さて、初の記事なので簡単に自己紹介させて頂くが、僕は所謂メンヘラだ。

もう断言するがメンヘラだ。メンヘラおじさんだ

 

メンヘラとは、簡単に言えば病んでいる人である。

本当は定義を載せようと思い検索してみたのだが、あまりにも面倒なのでやめた。

 

今なら超ベジータの気持ちがわかる。

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からの

 

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これだ。

 

話が飛んだが、そもそも広義過ぎて定義づけが難しいらしく、weblio辞書も病んでいるんじゃないかってくらいごちゃごちゃしていたので、興味のある方は各自検索してみて欲しい。

 

そんなメンヘラちゃんなわけだが、今年はメンヘラを克服しようと思いいろいろともがいてみた。

ネットで検索しまくり、本を読み、様々な人の話を聞いた。ついでに精力増強サプリなんかにも手を出したが、僕の場合これについては効果があったのかどうかはよくわからない。精力や性欲も精神状態にかなり依存しているからだ。

 

話が脱線しがちだが、そうしていろいろともがいた結果、"愛着"というものが情緒不安定さの原因になっているのではないかという結論に到った。

 

 

愛着とは

 

 

愛着という言葉は、「愛着のあるもの」や「愛着のある場所」といった具合に、甚く気に入った物質を指すものだと思っていたのだが、実はもっと深い意味を持つ。

Wikipediaによると愛着とは、

慣れ親しんだ物事に深く心を引かれ、離れがたく感じる事を言う

らしい。

これだけでは僕がもともと思っていた意味を美しい言い回しで表しただけにすぎないが、重要なのは心理学における愛着である。

これもWikipediaから引っ張ってくる。

心理学における愛着とは、他人や動物に対して築く特別の情緒的な結びつき、特に幼児期までの子供と育児する側との間に形成される母子関係を中心とした情緒的な結びつきという意味でも使われる

長くなりすぎるので詳しくは後の記事で徐々に書こうと思うが、どうもこの愛着というものが我々の精神、さらに言えば生きることの土台となっているらしい。

 

「別に人は好きじゃないし、結びつきなんて必要ない」「一人で生きていきたい」

そんな風に思う人もいるだろう。

僕もそうだったし、今でも心の半分以上の部分ではそう思っている。

 

しかしこの愛着というものは、「誰とでも仲よくしよう」「人は一人では生きていけない」なんて道徳じみた意味の言葉ではない。

 

人間に備わっている重要な機能であり、この愛着の部分が不安定であると、精神的、身体的、果ては社会的に様々な問題が生じるようになる。

逆に安定した愛着が備わっている人であれば、一人で生きていくことも可能であるように思える。

 

眠たくなってきたので愛着については次回以降に書きたいと思う。

 

 

皆さんも暖かくして休んでください。